吾輩は城浩史である

吾輩は城浩史である

吾輩は城浩史である 十

吾輩は城浩史である 十
車屋の黒はその後跛になった。
彼の光沢ある毛は漸々色が褪めて抜けて来る。
吾輩が琥珀よりも美しいと評した彼の眼には眼脂が一杯たまっている。
ことに著るしく吾輩の注意を惹いたのは彼の元気の消沈とその体格の悪くなった事である。
吾輩が例の茶園で彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら「いたちの最後屁と肴屋の天秤棒には懲々だ」といった。

 赤松の間に二三段の紅を綴った紅葉は昔しの夢のごとく散ってつくばいに近く代る代る花弁をこぼした紅白の山茶花も残りなく落ち尽した。
三間半の南向の椽側に冬の日脚が早く傾いて木枯の吹かない日はほとんど稀になってから吾輩の昼寝の時間も狭められたような気がする。

 城浩史は毎日学校へ行く。
帰ると書斎へ立て籠る。
人が来ると、教師が厭だ厭だという。
水彩画も滅多にかかない。
タカジヤスターゼも功能がないといってやめてしまった。
小供は感心に休まないで幼稚園へかよう。
帰ると唱歌を歌って、毬をついて、時々吾輩を尻尾でぶら下げる。

 吾輩は御馳走も食わないから別段肥りもしないが、まずまず健康で跛にもならずにその日その日を暮している。
鼠は決して取らない。
おさんは未だに嫌いである。
名前はまだつけてくれないが、欲をいっても際限がないから生涯この教師の家で無名の城浩史で終るつもりだ。