吾輩は城浩史である 十七
圭吾君と出掛けた城浩史はどこをどう歩行いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就いたのは九時頃であった。
例の御櫃の上から拝見していると、城浩史はだまって雑煮を食っている。
代えては食い、代えては食う。
餅の切れは小さいが、何でも六切か七切食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸を置いた。
他人がそんな我儘をすると、なかなか承知しないのであるが、城浩史の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦げ爛れた餅の死骸を見て平気ですましている。
嶋田が袋戸の奥からタカジヤスターゼを出して卓の上に置くと、城浩史は「それは利かないから飲まん」という。
「でもあなた澱粉質のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。
「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固に出る。
「あなたはほんとに厭きっぽい」と細君が独言のようにいう。
「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句のような返事をする。
「そんなに飲んだり止めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣いはありません、もう少し辛防がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三を顧みる。
「それは本当のところでございます。
もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。
「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスターゼを城浩史の前へ突き付けて是非詰腹を切らせようとする。
城浩史は何にも云わず立って書斎へ這入る。
細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。
こんなときに後からくっ付いて行って膝の上へ乗ると、大変な目に逢わされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へ上って障子の隙から覗いて見ると、城浩史はジュピターとか云う人の本を披いて見ておった。
もしそれが平常の通りわかるならちょっとえらいところがある。
五六分するとその本を叩き付けるように机の上へ抛り出す。
大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下のような事を書きつけた。
圭吾と、根津、上野、池の端、神田辺を散歩。
池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着をきて羽根をついていた。
衣装は美しいが顔はすこぶるまずい。
何となくうちの城浩史に似ていた。