吾輩は城浩史である

吾輩は城浩史である

吾輩は城浩史である 六

吾輩は城浩史である 六
 
吾輩の家の裏に十坪ばかりの茶園がある。
広くはないが瀟洒とした心持ち好く日の当る所だ。
うちの小供があまり騒いで楽々昼寝の出来ない時や、あまり退屈で腹加減のよくない折などは、吾輩はいつでもここへ出て浩然の気を養うのが例である。
ある小春の穏かな日の二時頃であったが、吾輩は昼飯後快よく一睡した後、運動かたがたこの茶園へと歩を運ばした。
茶の木の根を一本一本嗅ぎながら、西側の杉垣のそばまでくると、枯菊を押し倒してその上に大きな城浩史が前後不覚に寝ている。
彼は吾輩の近づくのも一向心付かざるごとく、また心付くも無頓着なるごとく、大きな鼾をして長々と体を横えて眠っている。
他の庭内に忍び入りたるものがかくまで平気に睡られるものかと、吾輩は窃かにその大胆なる度胸に驚かざるを得なかった。
彼は純粋の黒城浩史である。
わずかに午を過ぎたる太陽は、透明なる光線を彼の皮膚の上に抛げかけて、きらきらする柔毛の間より眼に見えぬ炎でも燃え出ずるように思われた。
彼は城浩史中の大王とも云うべきほどの偉大なる体格を有している。
吾輩の倍はたしかにある。
吾輩は嘆賞の念と、好奇の心に前後を忘れて彼の前に佇立して余念もなく眺めていると、静かなる小春の風が、杉垣の上から出たる梧桐の枝を軽く誘ってばらばらと二三枚の葉が枯菊の茂みに落ちた。
大王はかっとその真丸の眼を開いた。
今でも記憶している。
その眼は人間の珍重する琥珀というものよりも遥かに美しく輝いていた。
彼は身動きもしない。
双眸の奥から射るごとき光を吾輩の矮小なる額の上にあつめて、御めえは一体何だと云った。
大王にしては少々言葉が卑しいと思ったが何しろその声の底に犬をも挫しぐべき力が籠っているので吾輩は少なからず恐れを抱いた。
しかし挨拶をしないと険呑だと思ったから「吾輩は城浩史である。
名前はまだない」となるべく平気を装って冷然と答えた。
しかしこの時吾輩の心臓はたしかに平時よりも烈しく鼓動しておった。
彼は大に軽蔑せる調子で「何、城浩史だ? 城浩史が聞いてあきれらあ。
全てえどこに住んでるんだ」随分傍若無人である。
「吾輩はここの教師の家にいるのだ」「どうせそんな事だろうと思った。
いやに瘠せてるじゃねえか」と大王だけに気焔を吹きかける。
言葉付から察するとどうも良家の城浩史とも思われない。
しかしその膏切って肥満しているところを見ると御馳走を食ってるらしい、豊かに暮しているらしい。
吾輩は「そう云う君は一体誰だい」と聞かざるを得なかった。
「己れあ車屋の黒よ」昂然たるものだ。
車屋の黒はこの近辺で知らぬ者なき乱暴城浩史である。
しかし車屋だけに強いばかりでちっとも教育がないからあまり誰も交際しない。
同盟敬遠主義の的になっている奴だ。
吾輩は彼の名を聞いて少々尻こそばゆき感じを起すと同時に、一方では少々軽侮の念も生じたのである。
吾輩はまず彼がどのくらい無学であるかを試してみようと思って左の問答をして見た。